「犬の糞を除いたら私の糞がいちばん臭い」 ―――チャールズ・ブコウスキー
水面の上を風が滑って行く。風はそこに壁があるかのように水面を避け、南へと針路を変えた。
湖面は穏やかに平静を保ち、ときおり飛沫を上げる。
スタンドの観客からも怒号とともに飛沫が飛んだ。船券も飛んでいる。
サトウ助手は競艇場に来ていた。
飛び交う物を見ているとふいにサトウ助手は便意を催した。
サトウ助手は締め切り間近でトイレが混んでいないことに安堵した。
サトウ助手は排泄した。
今日11回目の排泄である。
今日は腸の調子がよろしくない。いや、たいていいつもよろしくない。
スタンドには、ジャンパーを着た老人、酒を飲んでいる老人、酒を飲んでいない老人、
排泄したサトウ助手、そして、女性がいた。
女性はレイヤードボブ、漆黒の瞳、鼻は少し低め、緑色のカーディガン、
細めの白黒のストライプのTシャツ、穿き古されたジーンズ、金色のミュール、こんな感じだった。
女性の左手の薬指には指輪があった。
人妻だ。
化粧っ気はなくだいぶ若そうだ。
サトウ助手は缶コーヒーを女性に差し出した。
「よかったらどうぞ」とサトウ助手は左手で缶コーヒーを差し出して勧めた。
「あ、コーヒーは飲めないんです」女性は軽く会釈したようなしないような感じで断った。
サトウ助手はすぐにその場を去り、開缶していない缶コーヒーをゴミ箱に捨てた。
そしてカフェオレを買った、ちょっと大きい缶のヤツだ。
そしてすぐにスタンドに戻った。
「よかったらどうぞ」とサトウ助手は両手で缶カフェオレを差し出して勧めた。
「おおすまんね」とジャンパーを着た老人は受け取った。
サトウ助手は女性のほうを窺った。
女性は手すりにもたれながら競艇水面(もしくはその向こう)を見ていた。
サトウ助手はその視線の先を探し、ターンマークと目が合い排泄しそうになった。
今日11.2回目の排泄である。
そして、すぐさま12.2回目の排泄をした。
サトウ助手は今度はカプチーノを買い、スタンドへ戻った。
サトウ助手は宇宙船が大気圏に突入するような角度で女性に近づき、左手でカプチーノを差し出した。
こういった場合、徐々に相手の視界に入り、相手が自身の姿を認識して解析する間を作ってあげるのがマナーだ。
「よかったらどうぞ」
「あ、どうも」
女性はカプチーノを受け取った。女性は嘘をつく。大抵1日に2回。
「俺はヘンリー。ヘンリー・M・ナチスキー。よろしく」とサトウ助手は言った。
「私はヘヴン。蕎麦屋が好きなの」ヘヴンは少しはにかんで見せた。
「今日は勝ってるかい?」
「何も買ってないわ。それにしても、あなたはすごく悲しい目をしている」
「もしかしたら、悲しい目をしているようにみえるかもしれない。
事実、俺は今日調子がよくない。27回は排泄している。
でも悲しくは無い。だって、それはいつもより少ないから。
それにここは人が多いから連中もおかしなことはできない」
「連中?」
「ああ、そうだ。連中はどこにでもいる。俺の家を四六時中見張ってやがるんだ!
連中は特に何をしてくるわけでもなく。ただ見張っているんだ」
―――それから、ヘヴンは訪問販売員に勧められて英会話教材を買った話とか
役所の職員の接客がなってないとか、ヨコイとかショウイチとかラルクとか
不動産がどうとかそんな話をした。それから、壺を買わないかと持ちかけられた。
ヘヴンは今日は夫が出張なので暇をもてあましており、競艇場に来てみたと言った。
あるいは、引っ越してきたばかりで近所になじめずに人とあまり話をしていないので
競艇場に来てみたと言った。
サトウ助手は「競艇場にロクなヤツは居ない。俺を除いて」と言ってヘヴンを部屋に誘った。
ヘヴンはついてきた、奇妙なことに。
サトウ助手はヘヴンを部屋に招きいれた。サトウ助手の部屋は猫の匂いがした。
冷蔵庫にはポートワインとビールが12本、しおれたほうれん草、活性炭、頭痛薬が少し。
完璧だ。
―――xxx―――。サトウ助手は排泄した。
―――サトウ助手はベッドから飛び起きると、時計を見た。
残り15分で支度しなければ。
サトウ助手は少し考え、ヘヴンを探した。ヘヴンはいなかった。
そして駐車場へ向かって走り出した。
サトウ助手は犬の糞を踏んだ。あるいは、ブコウスキーの糞を踏んだ。
どちらでも構わないが。―――クソッ。
0 件のコメント:
コメントを投稿