ニシエミナミエ

2010/12/11

旅など


緒言
グーグルアースを眺めていたら本州最西端に行きたくなった。
最西端を調べていたら、最南端にも行くことにした。
いつ行くかは全然決めてなかった。


12月5日
なぜか夕方から眠ってしまい23時ごろに起きた。
そのあと眠ってみようと再びベッドに入ったが眠れずとりあえず体を休めながらむくりと起き出し荷物をバッグに積め午前4時出発することにした。

12月6日
東名高速、路傍にある気温計は6℃。激烈に寒いので手袋と靴に入れるホッカイロをSAで購入。一応事前に買ってみた長いグローブの下に手袋をはめたがあまり状況は変わっていなかった気がする。走りながら足が震える、がくがく。PAに止まっては栄養ドリンクと例のお茶を飲みまくる。夜が明け紀伊半島に入り道の駅でマンボウを頂く。歯ごたえのある白身魚、味はイカみたい。最南端へ行く道中でザ・コーヴの舞台でもある鯨の町太地を通ったが目的がぶれてはいけないのでこれをスルー。15時半ぐらいに最南端潮岬の灯台に到着。料金を取られるので外から敷地をねめまわしていたが、ネットで見た最南端の碑が見当たらない。結局灯台に登ってみた、碑がないぞ。灯台の観覧は16時に閉鎖されるのだが15時57分ぐらいに受付のおばちゃんが早々と門を閉め始めた、怠慢。おばちゃんに聞いたら最南端の碑を通り過ぎてたようで、1分ほど戻ったところに観光タワーと広場があってそこに最南端の碑があった。タワーや休憩所も既に閉まっているからか、人は3人ぐらいしかいなかった美しいというよりも侘しい景色を眺めた。まだ走れそうだったのでもう少し進んだところの田辺市まで行くことにした。日が暮れてしまい道もワインディングしまくりで、私のメットはスモークシールドのためスピードがだせずのろのろと北上。やっぱメット買い替えようかな。田辺駅周辺は歓楽街のようなものもあり煌々と明かりがともっているが普通に中華料理屋で中華丼を食べる。泊。



潮岬の灯台


ここが最南端??


12月7日
朝食を頂く、コンビニのおにぎりとインスタントの味噌汁、コーヒー。小さなビジネスホテルなのでこんなものか。
移動、移動、移動。途中のPAで貼るホッカイロを買う。手袋につけてみた。
路傍の気温計は5℃。まぁよいかと思ったが小雨が降りだす。吉備SAでおっちゃんに「寒みぃな」と声を掛けられる。寒いよホント。バイク乗りであることを見抜かれ、おっちゃんは富士山まで行ったことあるよと言っていた。
どこまで行くのかと問われ下関までというとたまげられた。小雨。
とかいって、広島泊にすることにする。
広島も小雨。ホテルの位置がどーにもこーにも分からず通り過ぎる。
情報は携帯のGPSを使っていたが、ウェストポーチに入れているので停車しないと見られない。路肩に止めて携帯で位置を確認したが、逆方向に進んでしまった。広島市内には細い川がたくさんあってどれがどれやら。やっとこさ到着。近くのラーメン屋で広島ラーメンなるものを頂く。牡蠣と野菜の季節限定煮込みラーメン。泊。




12月8日
ホテルを広島平和記念公園のまん前のところを取ったので、平和公園めぐりをする。原爆ドーム、梵鐘をつく、追悼平和祈念館 、爆心地、平和記念資料館などをめぐる。レストハウス兼お土産販売所でティーシャーツが売っていたいたので買ってしまった。「NUKE FREE」と書いてある、「LOVE&PEACE」よりこじゃれたデザインであったので思わず買ってしまった。買おうとしたらマグネットも売っていたのでこれも買った、実を言うとマグネット集めが好きである。ティーシャーツを選ぶときに色を聞かれたが「黒」くださいと言ってみたもののそれは「紺」であった。この種の間違いを犯すのは比較的得意である、色弱だから。爆心地の前には工事従事者のトラックが平気で止まっており狭かった。平和記念資料館は相当のボリュームがあり、いちいち説明など読んでいるものだから昼になってしまった。資料館前の公園のベンチからは噴水と行き交う観光バスを陽光が照らしなかなか気持ちよかった。さて、最西端を目指すか。路傍の気温計は8℃。


























最西端の毘沙ノ鼻は比較的下関ICから近くて16時頃到着した。暖かな日の光が照らし、気分爽快になった、パワースポットかここ?とか思うけれど近くにはゴミの最終処分場がありこんなところに埋めなくていいのになと思った。最南端にあった灯台や観光タワーなどもなくかなりの僻地で自動販売機とトイレと小さな駐車場があるだけで碑へと抜ける道がぽつりと続いている。景観は見事、ちょっと沖に島が見える。暮れかけた太陽が洋上を照らしなんとなく清清しい、繰り返すがパワースポットかここ?












下関駅からほど近いホテルを取る。下関にきたならふぐやろふぐ。店は繁盛しており空席がなかったが少し周辺をうろついてコンビニに入った後また店に行ったがまだ満席、5分ほどまって席につく。ということでコース料理を頂く。散財。ついでに生ビール大も頼む。ジョッキがでかい。そりゃ大だものな。
前菜はうに、贅沢。その後ふぐさし(現地では「ふく」と書いてある)ふぐから、ふぐちりと続き平気で二人分あるようなふぐちりだったのですでに満腹だったが、その後のふぐ雑炊も食べきる、ははぁ満腹過ぎる。食後のフルーツはみかん半分に切られフォークとともに供されたがフォークでみかんなんか食べられるかい!手で食べる。泊。








12月9日
フェリーで帰ることにしたので門司まで行けばよい。時間はたっぷりとある。朝は下関駅に赴き観光案内所で最西端到達証明書を入手、最西端現地では手に入らないので別に行かなくても下関駅に行ったり、郵送でも送ってもらえるので気になった御仁がおれば行ってないけど入手してみるのもいい。

証明書入手案内

さて、関門海峡を渡る方法だが、フェリーでいってみるのもオツかなと思い下関-小倉のフェリー乗り場に行ったが強風のため欠航、がくり。乗船券売り場のおっちゃんが高速で渡る道を教えてくれたがランドマーク的なものがないので全然理解できなかった。でもまぁなんとか高速に乗り(関門トンネルは工事のため通行止めであった)門司へ。門司は「もんじ」と読むものだと思っていたが実は「もじ」だった、長年勘違いしていた。フェリーは19時発なので温泉で時間をつぶすことにする。温泉の近くにヤマダ電機があったので船内で時間をつぶすものを物色し、ダークエンジェルシーズン1BOXを買った。温泉には関門海峡が望める露天風呂があったが、冬である上にものすごい強風に吹きさらされながら露天で関門海峡を望む。厳しさの中に少しの情緒。岩盤浴もしてマッサージもして新門司港へ向かう。フェリー乗り場の受付のお姉さんがかわいい、この辺の言葉は関西弁ともちょっと違うアクセントだった、かわいい。待合室には私を含めて3人、閑散。「東京」と書かれた紙をヘッドライトに貼って乗船。正確にはビキニカウルに貼った。この航路のフェリーには以前乗ったことがあるが、今回のはちょっと設備が貧弱なタイプだったようだ。食堂コーナーは冷凍食品とカップヌードルがある、これだけかよ。乗客は10人いるかいないか。乗船の際迷彩服を着た女子を見かけた、自衛隊だな。客室は寝台列車程度の寝室。展望露天風呂などもある。夕食は冷凍食品の豚焼肉丼を頂く。
展望露天風呂に入っていたらおっちゃんと一緒になる。おっちゃんは「風呂入ったらまたビール飲みたくなるなぁ」とのたまっていたので、「そーですね」といいともみたいなノリで返しておいた。入浴後、そのおっちゃんがロビーで一人でビールを飲んでいたので一緒に飲む。私は発泡酒だけどね。そのおっちゃんは実は元モトクロスレーサーで骨折したり気絶したりして3回結婚して3回離婚している。63才とはいうが負けん気の強さというか漲る気力というか若く見える。結婚を機にレーサーをやめ今は鉄骨を曲げる機械を運ぶ超零細企業で働いているそうだ、ボーナスなし、給料は遅れるだの日本の政治を憂いカンボジアの人身売買を憂いていた。宝くじが当たったらアラスカで犬ぞりレースがしたいといっていた。いろいろと話をした、頑固でなくこちらの意見も受け入れてくれる人当たりのよいおっちゃんである。なぜか電話番号を交換した、九州に寄る際は泊めてくれるそうだ、当分行かないと思うけど。だいぶ飲んで泊、吐いてはいない(前回乗ったときは自衛官と飲んで大五郎なんて持ってるもんだから吐いたけど)





12月10日
館内放送で目が覚める。徳島に着く、が私は東京まで乗るので関係ない。9時だったのでだいぶぐっすり眠っていたようだ。枕はよくわからない四角い塊でとても寝心地がいいとはいえない。昨日のおっちゃんに出くわし道中気をつけてといい人みつけろよと言われる、どうやって見つければいいのだろう。その後は船内をうろついたり昨日のおっちゃんの話をテキストに書き起こしたり件のDVDをみたりしながら適当に過ごす。暇。夕食は冷凍食品のキーマカレー。夜は一人で飲んでいたが、ロビーに誰もおらぬので1缶で止めにして泊。

12月11日
東京港5時半到着。首都高と横浜新道を使って帰宅。無事帰宅。


結論
旅は計画的に!でも何も決めないのも楽しい。



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